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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)663号 判決 1976年11月11日

被控訴人 三和銀行

理由

一  主位的請求について

1  原判決事実摘示請求原因1(一)の(1)、(2)及び1(二)の各事実は当事者間に争いがなく、《証拠》によれば、同1(一)の(3)の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  そこで、被控訴銀行が本件小切手の支払を拒絶したことが振出人に対する債務不履行にあたるか否かについて検討する。

(一)  本件小切手には振出人として「村井勉」の署名があるのみであつて印鑑が押印されていないことは当事者間に争いがない。

(二)  《証拠》を総合すれば、本件小切手は、村井が三和ファミリーチェックとして振出したものであるところ、右振出しに関する約定を定めた当座勘定取引約定書(乙第一号証)において、村井は被控訴銀行に対しあらかじめ小切手、手形、諸届書類に使用する署名鑑又は印鑑を届出るとともに、被控訴銀行が小切手等の署名又は印影を届出の署名鑑又は印鑑と相当の注意をもつて照合し、相違ないと認めて取り扱つたうえは、右小切手、手形、諸届書類、印章の偽造、変造、盗用等の事故があつても、これによつて生じた損害について責任を負わない旨を取り極めていたこと、ところで、右の署名鑑又は印鑑の届出は、一般に印鑑、署名鑑届(兼代理人届)用紙に必要事項を記入したうえ契約当事者が署名押印してなすことになつており、本件の場合には乙第二号証がこれにあたること、右の印鑑、署名鑑届用紙は小切手振出用とその他の取引用欄に、小切手振出用欄は更に署名鑑と印鑑(A)欄に分かれ(その他の取引用欄は印鑑(B)欄のみ)、小切手振出用欄には「署名鑑か印鑑かどちらか一方」の記載が、又、署名鑑欄には「印鑑使用の場合は記名」の記載があり、欄外下段には「ご使用にならない印鑑については斜線をおひきください。」、「印鑑(A)(B)をお届けの場合は同一印章をご使用ください」との届出人に対する注意事項が付記されていること、このように、印鑑、署名鑑の届出には小切手振出用とその他の取引用があり、更に小切手振出用には署名のみをする場合と記名押印をする場合の二種類があるが、村井は、小切手振出用の署名鑑欄に「村井勉」と自署するとともに、印鑑(A)欄に「村井勉」と判読しうる丸い印鑑を、その他の取引用の印鑑(B)欄に「村井」なるだ円形のいわゆる三文判風の印鑑をそれぞれ押印して被控訴銀行に届出たこと、の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、村井が被控訴銀行に対してなした印鑑、署名鑑の届出は、小切手振出用とその他の取引用とで異なる印鑑が使用されている点で所定の方式にそわないところがあるが、小切手振出用についてみる限り、署名ではなく記名押印による旨を届出たものと解するのが相当である。けだし、右にみたように、署名のみを届出る場合には届出用紙の印鑑(A)欄には押印することなく斜線を引いて抹消することが要求されていると解されるところ、本件では右の抹消がなされず、かえつて「村井勉」と判読しうる印鑑が押印されていて印鑑使用の趣旨が明確にされており、且つ届出用紙署名鑑欄は前記のとおり「印鑑使用の場合は記名」欄となるからである(本来小切手法にいう「記名」には文理上名義人本人による名称の自書すなわち狭義の署名は含まれないと解されるが、本件届出においては前認定のように署名鑑か印鑑かいずれか一つの選択を求めているのであるから、印鑑を選択した以上は署名鑑欄に署名がなされていてもこれを記名と扱うことは背理ではない)。

なお、村井が被控訴銀行に対してなした印鑑、署名鑑の届出は、小切手振出用とその他の取引用とで異なる印鑑が使用されている点で所定の方式にそわないところがあることは前述のとおりであるが、両者の取引はもともと別個の契約ですることが可能なものであつて一個の契約でしなければならない必然性はないから、同一の印鑑によることを要求しているのは単に被控訴銀行の事務取扱上の便宜にすぎないものと解すべく、したがつて、印鑑の届出を違法無効なものとみてこれがない場合と同視し、小切手振出用については署名のみによる旨の届出があつたものとみるのは相当でない。

(三)  してみれば、村井は、被控訴銀行との間の当座勘定取引約定に基づき、小切手の振出しは記名押印による旨を届出で、印鑑照合による支払の委託をしていたことになるから、村井の署名があるのみで印鑑が押印されていない本件小切手は、支払委託の趣旨に反することはあきらかであり、したがつて、被控訴銀行が本件小切手に「形式の不備」があるものとしてその支払を拒絶したことは、支払委託の本旨にそうものでこそあれ、なんらこれに反するものではないというべきである(原審証人小川勝平の証言とこれによつて原本の存在と真正な成立が認められる乙第四号証によれば、振出人の印章もれは、被控訴銀行の事務手続の基準のうえでも形式の不備にあたるものとされ、かつ、実際にもそのとおりの取扱いがなされていることが認められる)。

したがつて、被控訴銀行が本件小切手の支払を拒絶したことについて、村井に対し債務不履行があつたものということはできず、この点に関する控訴人の主張は理由がない。

二  予備的請求について

控訴人は、「形式の不備」を理由にして本件小切手の支払を拒絶したことが支払人である被控訴銀行の所持人である控訴人に対する不法行為にあたると主張するが、一般に小切手の支払人は、小切手金の支払に関して第三者たる小切手所持人に対し何らかの義務を負うものではないうえ、本件の場合、「形式の不備」を理由とする支払拒絶が振出人である村井からの支払委託の本旨にそうものでこそあれこれに反するものでないことは前述のとおりであるから、たとえ小切手法上は署名のみによる振出しも適法であることから、本件のように振出人の署名だけで押印のない小切手の場合にはその所持人が思わぬ不利益を受けることがあるのは否定できないけれども、支払人たる被控訴銀行が振出人たる村井からの支払委託の本旨に基づいて支払を拒絶したことをもつて、所持人たる控訴人に対する不法行為にあたるものということはできない。

又、成立に争いがない乙第六号証によれば、東京手形交換所では、呈示された小切手の形式が不備な場合には、仮に他の不渡事由と重複する場合であつても適法な呈示がないものとして不渡届を提出する必要がなく、したがつて取引停止処分にしない取扱いをしていることが認められるから、振出人において不渡りの異議提供金を提供する必要はないものといわざるをえないし、仮に被控訴銀行が本件小切手をそのまま持出銀行に返還しなかつたとしても、ほかに何らの主張、立証のない本件では、これが控訴人に対して不法行為を構成するものとは認められない。

したがつて、控訴人の不法行為の主張も理由がない。

三  以上のとおりであつて、控訴人の本訴請求はいずれも失当であつてこれを棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条に従いこれを棄却

(裁判長裁判官 吉岡進 裁判官 園部秀信 太田豊)

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